お腹の記憶と愛情と




物にあまり興味がないと言うとけっこう驚かれるのですが
物にはあまり興味がないのです。
ばあちゃんからのお土産のペンとか別段かわいくもなくてもいつまでも使っているし、
お母さんのお土産の指輪も、石っころがなくなってもはめているし、
あの車も廃車になるまで乗ったけど、
最後は屋根が落ち、ワイパーが1個きかなくなり、時計もどんどん遅れていく、
とにかく、よく恥ずかしげもなくあの車に乗ってるね!とは言われたもんだ。
いやいや、ちょっとは恥ずかしかったよ。
でもねー、彼女との一体感といったらねー。わたしは彼女が大好きだった!
(あの紺のクルマは女性だったのですよ!)


これでないとヤ!とかが、物に関してはないかも。
なので自分が欲しいものは人に買ってプレゼントしてしまうことが多いのです。
買った時点で満足。こいつ、わたし以外の人のとこにいったほうが幸せだろう。と。


じゃあ何に興味があるかと言えば、
執着しがちかと言えば、この一瞬の時間だとか記憶。
そして食べ物かなぁ?と思います。

記憶だとかはまた今度ということで、

食べもの、お腹に入れるものに関してはとてもとてもあるかも。

だからといって高級レストランで!とか有機野菜でないと!とかそういうのではなくって。


食べると決めたら一直線!前の晩からよだれがとまりません。
目的をたっせいするまでは、その料理が心からはなれません。
・・今回はそーゆー話ではなくって。(実際そうなんだけども)



誰がどんな気持ちでつくっているかー?と言うのが結構、案外重要で、
(誰と食べるかもね)
だってわたしはそれを自分の体の中にいれるわけだから。

人間の胃袋というのは心に直結してるのか
食べてて泣けるというのもあるわけです。
それは作っている人の想いや愛情がダイレクトに届いたとき。

その人がどんな人か、どんな気持ちで料理したかとかって
ほんとうによくわかる。


だからわたしはよく気持ち悪くなったり、お腹を壊したりするんだけど
でも、元気がないときや、具合が悪い時、
その人の料理を食べるだけで復活する!っていうのもある。



わたしはいつもいつも思い出すよ
ペスカで食べた料理のことを、レガーメで飲んだアイスコーヒーのことを。

記憶にあって、いつもいつもせつなくなる。
せつないけど、でもそれはそれは素晴らしいお腹と愛情の記憶なのだ!

みんなーー元気にしてるかい?
落ち込むこともあるけどわたしは元気です!



ところで、アトムコーヒー、湯田ちゃんとこのアイスコーヒー、
コールドフィーバーが発売されたようだ。
わたしはまだこのコールドフィーバーは飲んだことがないのだけど、
実はわたしはコーヒーと言えば、アイスコーヒーのほうが好きかもしれなく
そして、わたしにアイスコーヒーのうまさをおしえてくれたのが
レガーメのアイスコーヒーなのだ。


もう、レガーメのアイスコーヒーは飲むことができないけれど
いつも決まった場所に腰掛けて飲んだアイスコーヒーの記憶が
これから夏かーと思うと、蘇ってくる。
氷がカランと音をたて、わたしは黒いストローでくるくるさせる。
もう戻らない愛おしい時間。大切な記憶の断片。
アイスコーヒーにのせた想い出よ。



湯田ちゃんとこのコーヒー豆でコーヒーの美味しさのとりこになり、
豆の美味しさに心をうたれた。
(変態!と言われようとも、豆をボリボリ食べることはやめられませんな。)
ですから、はじめてのアイスコーヒー、コールドフィーバーを味わうことを楽しみにしている。
ちょっとドキドキするね。
それは、わたしのレガーメで飲んだアイスコーヒーの記憶をのせてゆく。
もちろん、あたしい気持ちで、
ああ君が、アトムさんとこのコールドフィーバーかね!はじめてこんにちは、
なんだけど、なんていうか、愛情の層が重なる感じというか。
わたしの特別なアイスコーヒーの旅というか。
カランと音をたてる透明な氷の記憶を胸の小箱にまた1つ入れるというか
(ますます複雑?)

う~む、言葉にするのは難しいぞ。

でもアイスコーヒーが特別っていうのは伝わる?





ああ、ちょっと陽射しがまぶしいね、
そこのカーテンしめておくれやす
青空の向こうには入道雲
風鈴がチリンと鳴れば
氷もカランと音をたてる



アイスコーヒー、そんな記憶のイメージよ。


  


2012年05月23日 Posted by YUMI at 23:15わたしの雑談